奶奶泉
由来:本ステーション  発表期日:2017/08/10

「奶奶泉」名づけの由来は「奶奶庙」から来ました。「奶奶庙」は「春秋五覇」の一人楚荘王のある妃を記念するため建てられたと言います。楚荘王は中央平原地を征する時、美しくて優しい女の子を自分の妻にし、そして「妃」とされます。楚の国はジメジメの気候なので、その妃は体中に疥癬で覆われ、悪臭のせい、楚荘王の好意を失い、皇宮殿から追い出されました。妃は宮殿を出て食乞いで中央平原地にある故郷までたどり着いて、鄭州の南西郊外にある深い溝(今の桜桃溝)の土垌で暮らして、野生の果実と泉で生活していました。その後、体の疥癬がだんだん治りました。それどころか、皮膚に艶があり、顔色もうす赤くなり、全くの美人になりました。噂は楚荘王の所に伝わって、楚荘王は彼女を元に迎えようとしますが、彼女は戻らなくて、ここで一生を終えると決意しました。この妃がなくなった後、遺体はこの廟にある祭壇の下に埋まっているそうです。妃が以前住んでいた垌を「玉霞神垌」と名付け、廟を建て、像も祀られています。そして妃のことを「奶奶」と呼ばれ、そのゆえ、この廟は「奶奶庙」と呼ばれています。「奶奶庙」が建てられて以来、毎年のお正月の一日と十六日に、付近の人々はここに拝みに来て「健康や平安等を願っています。また「生是十世福,送子胜观音」「奶奶赐福,全家幸福」等といったいい話が伝わっています。

「奶奶庙」の前に泉(地下から水が出る)があります。噂によると、妃はこの泉の水を飲んでからこそ、体の疥癬が治って、皮膚がやわらくて美しくなったのだと言います。そこで、たくさんの人たちは礼拝の後、必ずその泉の水を持って帰ります。そして、「提一还三」の説があり、意味は水1桶を持っていくなら、先に3桶の水を返えすと言う意味です。それ以来、「奶奶泉」の悠久たる歴史とその伝説はこのように伝わってきて、たくさんの信者と観光客を引きつけているんです。

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