桜桃古寨
由来:本ステーション  発表期日:2017/08/10

清の時代、禹县から鄭州の「官道」までの近くにある石匠荘村(今の桜桃溝社区」は一回盗賊に襲われ、糧食や家畜等も奪われました。盗賊の再びの襲いを防止するため、「石匠荘村」の人たちは村の南西にある谷間にいい所を見つけた。あそこはただ南だけは谷間の上の平地と繋がって一体になり、他の北、東、西その三面は深さ数十メートルの谷間に囲まれた3畝余りの「高地」であり、ここを独立の島のような形状の「寨」が出来上がりました。谷間の底から「寨」の頂きまで通れるため、村人たちはまた、その寨の北面にある谷間の下から上まで斜めにしている坂形状の「深い穴」(洞窟)を掘りました。洞窟の幅は1メートル足りなく、一人しかとおれないです。まさか「一夫当关,万夫莫开」(一人が守れば、万人を通せないくらいの険しさの例え)と言えるでしょう。解放後、社会は安定されているため、昔に輝いた(大きなな役割を果たした)古寨は当時の機能を失ってしまい、廃棄され、使用されないままになり、段々人々に忘れられました。現在、寨の頂きはもう農作物の使用地になり、その洞窟も埋もれました。周りに大きい桜桃の木だけ残っています。依然として、青々と茂っていて、枝が風に揺れ、ジリジリと響いています。それは曾ての栄光の人々に伝えているようです。

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